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私の祈り2
私の祈り2 私のクリニックには、様々の体の痛みや、こころの痛みを持っていらっしゃる方が来院されます。
その中には、その担っている荷物があまりにも重い、すなわちあまりにも重い荷物を担いでいらっしゃる患者さんも多いのです。
現在の、医学的技術を駆使して、たとえ身体の痛みがとれたとしても、それらの患者さんは癒されないのです。中には、カウンセリングの必要な患者さんもいらっしゃいます。
それらの患者さんと、相対するとき、私は祈るのです。一生懸命、祈ります。その祈りが、私中心に行われるときは、決して患者さんは癒されることはありません。
私の祈りが、この世界の創造主が私の中に語りかけ、私と患者さんの心の扉が開かれ、心の開放が行われ、すべてのことがさらけ出されるよう、祈るのです。
すべての人間は、皆、何らかの問題を、その心の中に持ち、何らかのことで悩んでいるのです。
ある人のために祈ることは、人間が皆持っている根底にある問題を、この世をお作りになった大きな存在にゆだね、人類共通の救いのために祈ることに、通じています。
また、私たちの中に、潜在的に私たちを、この世に存在たらしめていてくださる、おおきな存在にすべてをお任せしたい欲求をもっています。
我々は、一人びとり、人格を持った存在ですが、その深いところで皆連なっているのです。
そして、我々人類が、あらゆる知恵をしぼって考え抜いて努力しても、癒されない痛みは、その絶望のふちから祈り、この世の終わりとも考えられる絶望のふちから祈っても、それは無視されているのではなく、必ずや、天地や世界をおつくりになさった方に届き、その御方も我々と一緒に苦しみ、そして必死に我々を支えていてくださるのです。
だから、たとえどんなに苦しいところに立たされても、あなたは、あなたのままでよいし、そのあなたは、無意識の中で、支えられているのです。
また、自分が無力でもう何をしてもだめだと絶望感に襲われても、心から祈るのです。その様な祈りは、いや、そのような祈りこそ天の創造主のみこころに届くのです。
その祈りは、すぐには解決されないかも知れません。しかし、その様な祈りは、すでにあなたの心から出たものでもあり、また天の創造主の大いなる御心をあなたの中に、お迎えしている状態なのです。
ですから、どんな絶望的な状況でも、祈ることにより決して諦めてはいけません。ひたすら、祈ることにより、私たちは自分の無力さを自覚せざるをえませんが、この狂乱にも近い無力の自覚が、やがて我々を支えるようになり、心は次第に謙虚になり、その様な状態をありのままにこの世の創造主に受け入れられるのです。
私たちの持つ、無力さが私たちの救いにつながるのです。
さあ、心をまっさらにして、共に祈りましょう。 戻る |