私の祈り3 私の祈り3〜「愛」についての祈り
「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は、高ぶらない、誇らない、
不作法をしない。自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばな
いで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」
この言葉は、新約聖書の「第一コリント3章4〜7節」に述べられている、御言葉である。
「愛」には4種類」ある。ギリシャ語による分類だが、ギリシャ語の愛には、「スルトゲー」(親子、兄弟などの家族愛)、「エロス」(夫婦、男女の愛)、「フィリア」(友情)、「アガペー」(聖なる愛)の4種類がある。
ここでの「愛」は、loveではなく、「アガペー」である。「アガペー」とは、ある人が誰か他の人をそのまま受け入れ、その人のために自分自身を差し出すことである。ある人を尊敬するには、その人のことを良く知ることが必要であるが、そのためには自分自身を超えて、相手の立場にたってその人のことを見る事が出来るときに初めて可能になる。
「愛」とは、特定の他人に対する関係ではなく、世界全体、人間全体、地上のものすべてに対して、その人がどう関わるか、さらにそれらをありのまま受け入れ、認めることである。
私たちは、根底のところで、すべてつながっており、自分に役立たないものをあるがままに認めるときに、初めてそこに「愛」が芽生える。また、無力なものを、あるがままに認めた時、人は兄弟に対する愛が生じる。また同時に、自分自身を愛するということは、救いを求めている人々を愛することである。
次に、「愛」を具体的に示した感動的な実話を紹介しましょう。この話は、犬養 道子著の「人間の大地」(中央公論社発行)に、載っている本当にあったお話です。「愛」の偉大さが、いかに尊いかを示しています。
「ほぼ7万人(1979年12月19日の人数)収容のカオイダンのキャンプ第一セクション内の病者テント内に、ひとりの子がいた。ひとりぽっち。親は死んだか、殺されたか、はぐれたか。兄弟姉妹はいたのか死んだのか。一言も口にせず空をみつめたままの子。衰弱し切ったからだは熱帯性悪病の菌にとっての絶好の獲物であったから、その子は病気をいくつも持っていた。国際赤十字の医師団は、打てるだけの手を打ったのち、匙を投げた。「衰弱して死んでゆくしかのこっていない。可哀想に・・・」。子は薬も、流動食も、てんで受け付けなかったのである。幼ごころに「これ以上生きて何になる」の、絶望を深く感じていたのだろう。
ピーターと呼ばれる、アメリカのヴォランティア青年が、その子のテントで働いていた。医者が匙を投げたそのときから、このピーターが子を抱いて坐った。特別の許可を得て(ヴォランティアは夕方五時半にキャンプを出る規則)夜も抱きつづけた。子の頬を撫で、接吻し、耳もとで子守歌を歌い、二日二晩、ピーターは用に立つまも惜しみ、全身を蚊に刺されても動かず、子を抱きつづけた。
三日目に・・・・反応が出た。ピーターの眼をじっと見て、その子が笑った。
「自分を愛してくれる人がいた。自分をだいじに思ってくれる人がいた。自分はだれにとってもどうでもいい存在ではなかった・・・・」。この意識と認識が、無表情の石のごとくに閉ざされていた子の顔と心を開かせた。
ピーターは泣いた。よろこびと感謝のあまりに、泣きつつ勇気づけられて、食べ物と薬を子の口に持っていった。子は食べた!。絶望が希望に取って代わられたとき、子は食べた。薬も飲んだ。そして子は生きたのである。
回復が確実なものとなった朝、私はセクション主任と一緒にその子を見に行った。
「愛は食に優る。愛は薬に優る」主任は子を撫でつつ深い声で言った。
「愛こそは最上の薬なのだ、食なのだ・・・・この人々の求めるものはそれなのだ・・・・。」
朝まだき、とうに四十度に暑気が達し、山のかなたからは銃声が聞こえ、土埃のもうもうと吹きまくっていたカオイダンのあのときを、私は生涯忘れることがないだろう。 戻る |