レイチェル・カーソンの祈り
子どもの世界は新鮮で美しく、驚異と感激にみち溢れている。不幸にもわれわれの多くは、成人する前に澄み切った洞察力や、畏敬すべき美しいものへの直観力を喪失してしまう。もしも私が、すべての赤ん坊の命名式を司るとされている善良な妖精に影響をおよぼすことが出来る立場にあるとしたら、私は彼女が、世界のすべての子供に対して、生涯を通じてこわれることのない驚異の感覚を贈りものとするように求めるだろう。それは、やがてやって来る倦怠と幻滅、人為的なものへの不毛なあこがれ、われわれの力の源泉からの疎遠などに対して確かな解毒剤となるであろう。
子供たちが、このような妖精からの贈りものに頼らずに生来の驚異の感覚を生き生きと保ち続けるためには、その感動を分かち合えるような大人が少なくとも一人、その子供のかたわらにいて、われわれの住んでいる世界の歓喜、感激、神秘などをその子供といっしょに再発見する必要がある。親というものは、子供の熱心で敏感な心に触れる一方、他方で複雑な物質的世界に接する自己の不十分さを思い知らされる。その世界には、見知らぬ多様な生命がすんでいて、親たちはそれらを体系だった知識にまとめあげる自信を失ってしまう。そしてみずから打ちのめされた気分に陥って叫ぶのだ。「どうしたら私は自分の子供に、自然について教えることが出来るだろうか。私は鳥を識別することさえ出来ないのだ!」と。
私は、子供にとっても、そして子供を教育しようと努力する親にとっても、「知る」ことは、「感じる」ことの半分の重要性さえももっていないと固く信じている。もしも、もろもろの事実が、将来、知識や知恵を生み出す種子であるとするならば、情緒や感覚は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌である。幼年期は、この土壌をたくわえるときである--美的な感覚、新しい未知なものへの感激、思いやり、憐れみ、感嘆ないしは愛情といった感情--このような情念がひとたび喚起されれば、その対象となるものについて知識を求めるようになる筈である。それは永続的な意義をもっている。消化する能力がまだ備わっていない子供に、もろもろの事実をうのみにさせるよりも、むしろ子供が知りたがるようになるための道を切り開いてやることのほうがはるかに大切である。
ポール・ブルックス 著 : 「レイチェル・カーソン」 新潮社
レイチェル・カーソンは、農薬の危険性と環境に与える悪影響を、著書「沈黙の春」で世界で始めて指摘した。現在の環境問題の、端緒を開いた偉大な人物である。
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