曽野 綾子の祈り
天の下すべて
私にとっても、時に関する決定的な言葉といえば、旧約聖書の中の『コヘレトの言葉』(3・1)以下に出て来る部分である。
「何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて
定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時、
植える時、植えたものをぬく時」
これは一時代前の日本の農村においても、しみじみと理解される言葉である。赤ん坊は次々に生まれ、老人は順序に息を引き取って、親戚友人の眠る村の墓地に葬られる。信じられないことだが、人は自分の誕生にも死亡にも主導権を持っていない。そこに謙虚さが生まれる。
「殺す時、癒す時、
破壊する時、建てる時」
牧畜民たちは、家畜を殺す時のために癒すのだ。敵に村を破壊されたら、理屈なしに再建しなければならない。
「泣く時、笑う時」 「求める時、失う時」その双方が必ず現世にあることを、精神が大人になっている人間はすべて否応なく理解している。もっとも最近は、心が大人になっていない成人が出現したので、泣く時も失う時もあることを認めない。
『コヘレトの言葉』は、
「黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時」
も人生にあることを教えている。現代は、黙することの意味や、憎しみを克服することが不可能なことや、完全な平和などは永遠に来ないことを教えない。しかし、旧約の人々は、それでも変化と希望が続くことを知っていたのである。
曽野 綾子 : 著 : 「時のかたち」 : 2002年9月3日 朝日新聞朝刊
参考
コヘレトの言葉3章1節〜11節(旧約聖書)
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
人が苦労してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。
聖書 新共同訳 : 日本聖書教会
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