日野原重明の祈り
91歳私の証・あるがまま行く
私が医学の道を選んだきっかけは、「シュバイツァー」でした。高等学校の上級に進み、医学部がだめなら哲学の道もいいなあ、と思っていたちょうどそのころ、彼の自叙伝が出版されたのです。
シュバイツァーが21歳の時でした。6月の聖霊降誕祭の朝、窓の外から小鳥のさえずりが聞こえ、ふと感じたのです。この幸福感をニーズのある人に分けるべきだ、と。そして30歳から先の人生は、直接、人へ奉仕するために生きよう、と決心したのです。
もうすぐ30歳という時、一冊の小冊子が届きます。ハンセン病患者の多いアフリカのコンゴには医師がおらず、宣教医を求める要請が載っていました。30歳からでも医学校に入ろう、と。医師になり、アフリカの原生林に赴き、医療伝道に携わることこそが使命なのだ、と。医師の資格を得た時には、36歳になっていました。
彼は医師となる時、三つの犠牲を覚悟しました。神学研究とパイプオルガンと、安定した収入のある大学教授の職です。しかし後年彼は、仕事に至福を感じています。自由人として働けることと、医の技術を持って働き、患者から感謝されること、つまり、科学的な仕事に従事しながら、人の魂に触れられるということに、感動を覚えているのでした。
このようなシュバイツァーの心の転機に感動して、私は医学部への進学を決めました。しかし、20歳の時、結核性胸膜炎で1年間療養という不運に出会うのです。
高熱は半年間続き、絶対安静でした。化学療法のない時代でしたから、自然治癒を待つだけです。医師になることは無理だと、絶望感も味わいました。しかし、この経験こそが、真の臨床医になるための基盤となったのです。
今、シュバイツァーと同じような至福を感じます。研究による科学的な満足を得られ、患者さんやそのご家族からの感謝の言葉に触れられるのです。
人間の生きがいは結局、仕事から得られるのではないでしょうか。その仕事をどう決めるか。夏目漱石は、三つの条件を満たすものを仕事にしたいと考えました。第1に、仕事の中に趣味が感じられるもの。第2は、世の役に立つこと。第3に、彼は自分が変わり者であることを自認していたので、自分を曲げずにできるものを、と考えたのです。結果、英文学に行き着きました。
何のために仕事を選ぶのか。特に若い人には、心の内に問うて欲しいのです。選ぼうとしている仕事を漱石の条件に照らすのもいいでしょう。それでも迷った時は、森や林の中へ入って考えるのです。大きな自然の宇宙を感じながら、小さい存在の自己を見つめ直すのです。そんな作業が、生きていく上で大切だと思うのです。
日野原重明 : 著 : 「働くということ」 : 朝日新聞2002年11月23日
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