高橋祥友の祈り
自殺未遂
「自殺しようとする人を止めることはできない」「人間には自ら死ぬ権利がある」といった意見をよく耳にする。
それは間違いだと思う。
私が精神科医になって20年以上たった。しかし、これまでに自殺するという決意が100%固まっている人に出会ったことがない。
自殺は、自由意志に基づいて選択された死というよりも、強制された死であると、私は考えている。
自殺の危険の高い人は、「死んでしまいたい」という気持ちと同時に「苦しみをとめてほしい。もう一度生きていきたい」という相反する気持ちの間を最後まで激しく揺れ動いているのが現実である。
だからこそ、自殺予防の余地が残されているとも言える。
前回のコラムでは、もしも自殺したいと打ち明けられたら、その訴えを正面から受け止めてほしいと書いた。
さて、それでは自殺を考えるという段階を超えて、実際に自分を傷つける行動に及んだ場合について考えてみよう。
高い所から飛び降りる、電車に飛び込む、といった行動に及んだものの、幸い命をとりとめた人の深刻な気持ちを疑う人はいないだろう。
だが、薬を数錠余分にのんだり、手首を浅く切ったり、といった場合はどうだろう。
家族ばかりか、医療関係者でさえも、そのような人の行動を疑うことがある。「死ぬつもりなどなかった」「周りを困らせようとしただけだ」「狂言だ」などと考えてしまいがちだ。
周囲の人は「あの人は自殺を図ろうとしたわけではない」と思いたいがために、このように解釈してしまう場合も多い。
しかし、その時は命が助かった人でも、適切な治療を受けないと再び自分を傷つける行動に及ぶ危険がある。そして結局、自殺で亡くなってしまう危険が一般の人よりはるかに高い。
「自殺について打ち明ける」のが黄色信号だとすると、「自分を傷つける」行動に及んだことはまさに赤信号なのだ。
必死になって救いを求める叫びを発しているのに、周囲がそれに気づかないと、最後の行動に及んでしまうかもしれない。
自分を傷つける段階まで至ると、一刻の猶予も許されない。その叫びを真剣に受け止め、できるだけ早い段階で、専門家の治療を受けるように働きかけてほしい。
高橋祥友 : 著 : こころ元気ですか 男性編E : 2003年3月15日朝日新聞朝刊
私がICU(集中治療室)で働いていたとき、ひとりの自殺未遂者が搬入された。ほとんど死んでいるに等しい状態だったが一晩寝ないで治療して、ようやく一命をとりとめた。その人の手首には傷跡があり、片足が無かった。手首を切ったり、電車に飛び込んだり、何回も自殺を図り、その時も自殺を図ってICUに運ばれたのだった。ようやく人工呼吸の必要も無くなり、意識も取り戻した時に、「助かってよかったですね。今度社会復帰したら何をしますか?」と仲間の医師のひとりが尋ねた。返ってきた答えは「もう一度自殺する」という答えだった。それを聞いた我々医療チームはものすごい虚脱感に襲われたことを、昨日のことのように思い出す。その人にも、適切な後治療とカウンセリングが必要であり、当然行われていることを祈るばかりである。
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