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曽野綾子の祈りU 神はどこにいるか 一連のイエスの預言のなかで、私にとって決定的な意味をもったのは、人間と神との関係をひとつの物語によって示された次の一節です。 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ。いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』」 これは、死後の裁きの場面です。生きているときに人々がどういうことをしたかによって、死後に裁かれるということがまず予告されたのち、王は正しい人たちがなした行いを数えあげます。しかし、その人たちは、自分たちがいつそのようなことをしたのか覚えがないのです。 「そこで王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」 ここが大事なところでしょう。神はどこにいるか。私は小さいときから、神は天の上の彼方にいるか、あるいは”おんぶおばけ”みたいに自分には見えない背中のほうにいて、ちょっと意地悪く私のすることをじっと見ているのかな、と思っていました。神と人間との位置関係とはそういうものだと、ずっと思っていたのです。しかし、ここではっきりと、(神は)あなたの目の前にいる者のなかにいる、と教えられたのです。つまり、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者」のなかにです。 曽野綾子 : 著 : 「現代に生きる聖書」 : NHK出版 この箇所はキリスト教信仰の原点のひとつと言える箇所である。あのマザー・テレサを突き動かしたのも、この聖書の箇所と言われている。多くの、医療従事者をネパールや、恵まれず薬がなかったり公衆衛生の不備な諸外国に駆り立てている原点の一つもこの箇所であろう。また、すべてのクリスチャンがこの通りに生きていれば、争いごとや戦争はもっと減るであろう。世の中は、困難で理想通りには行かない。しかしせめて、これを目標に生きることが出来れば、私たちの生きている現実世界は神の国に近づくことが出来る可能性が高くなるはずである。 |