谷川俊太郎の祈りU

人間の歌

 沈黙は何と大きいことだろう。私たちをとり囲んで重く、すべてを許すかのように、あるいはまたすべてを許さぬかのように。どんな小さな歌が、初めての貧しい魂に宿ったのだろう。沈黙との戦いを始めるために、誰が歌うことに気づいたのだろう。私はひとりの人を知っている。もっとも人間的なひとりの歌い手を。初めて歌の人間的な意味を私たちに教えてくれた人を。
 彼はひとりの薄汚れたつんぼだった。彼は哀れな失恋者だった。彼は礼儀を知らぬ、つき合いのわるい醜男(ぶおとこ)だった。そうして彼はひとりの本当の歌い手だった。彼は不幸な人間だったかもしれない。伝記作者はえてして彼を不幸の巨人にまつりあげたがる。だが彼よりも不幸な一生を送った人もたくさんいるはずだ。彼の偉大さは、彼の不幸の大きさによるのではない。むしろ彼が己の不幸を感じとるその度合にあると云っていい。彼は不幸をさえ偉大なものにすることができた。誰にでもある不幸を、彼は人間の存在そのものの不幸の象徴として感じとった。そこに彼の弱さがあり、同時に強さが始まる。
 モーツアルトは小鳥のように歌った。ベートーヴェンは人間として、あくまで人間として歌った。彼の悲しみ、苦しみ、喜びそれらはすべてあまりにも人間的なものだ。彼は初めて音楽を本当の意味で人間的なものにした。彼はむしろ個人的に歌ったと云ってもいい。その意味で彼もまた一個のロマンティストである。だが彼はロマンティストにとどまるにしても、あまりに人間的でありすぎた。われわれはバッハの音楽を聞いても、その生涯には興味をもたない。バッハの音楽に彼の生は無いからだ。しかしベートーヴェンは伝記作者の垂涎の的になる。彼の音楽は、まるで彼の生そのもののようだ。

谷川徹三 : 著、谷川俊太郎 : 詩・編 : 「愛ある眼」 : 淡交社

ベートーヴェンというと、ジャジャジャジャーン!というイメージを持っている人は意外に多いのではないでしょうか?ベートーヴェンは若いときには余り肩の凝らない曲を書き、壮年期には充実した曲を書き、第9交響曲やミサ・ソレムニスを書いた後は哲学的とも言える曲を書きました。その時々に「生の証」を曲に託していたようにも思えます。人間の持つ多面性をベートーヴェンの作品は良く示していると思います。ベートーヴェンの若いときのはつらつとした作品や、晩年の哲学的な作品も聞いてみませんか?

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