トルストイの祈り

  わたしは知ったのだ--人はだれでも自分自身のことを思いわずらうことによってではなく、愛によって生きるのだ、ということを。
 母親には、生きるために自分の子どもたちにはなにが必要なのかを知る力があたえられていなかった。金持ちには、自分自身になにが必要なのかを知る力があたえられていなかった。そして、人間はだれひとり、自分にとって日暮れに必要なのは、生きた人間のための長靴なのか、死んだ人間のための突っ掛け靴なのか、知ることができないのだ。
 わたしが人間だったとき、生き残ることができたのは、自分で自分のことを考えたからではなく、通りすがりの人とその妻の中に愛があって、わたしをあわれみ、愛してくれたからだ。みなしごたちが生き残ったのは、その子たちのことを、いろいろと考える人がいたからではなく、他人の女の心に愛があって、その女があの子たちをあわれみ、愛してくれたからだ。どんな人でも、生きているのは、自分で自分のことを考えるからではなく、人々の中に愛があるからなのだ。
 わたしは前から、神が人間に生命をあたえ、人間が生きることをのぞんでおられるのを知っていた。今、わたしはさらにもう一つのことをさとった。
 わたしがさとったのは、こういうことだ。神は人間がはなればなれで生きることをのぞんでおられない。だから、ひとりひとりの人間が自分のためにはなにが必要なのかを、神は人間におしえてくださらなかった。神がのぞんでおられるのは,人間がみんないっしょになって生きることだ。だから、すべての人間にとって、自分のために、しかも、みんなのために、必要なのはなにかを教えてくださったのだ。
 今、わたしはさとった--人間が生きているのは、自分のことに心をくばっているからだというのは、ただ人間がそう思いこんでいるだけにすぎない。人間はただ愛によってのみ生きるのだ。愛の中にいる者は、神のなかにおり、神がその人の中にいる。なぜなら、神は愛にほかならないからだ。」

トルストイ : 「人はなにで生きるか」 : 岩波書店 : トルストイ 作 : 「トルストイの民話」 より

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