池田晶子の祈り

科学という「バラ色の未来」

 医療技術の進歩にも、目覚しいものがある。かつてなら死ぬしかなかった病気も、死ななくてすむようになってきている。このような事実からも端的にわかるように、医療の進歩の原動力は、死への恐怖である。人間は死を恐れ、死を避けようとして、技術をここまで進歩させてきた。
 このこと自体は、我々にとって、おそらくは幸福なことである。しかし、どうなのだろう。とりあえずの死は回避されても、死への恐怖そのものは少しも解消されていない。恐怖を抱きつつ生きているというわれわれの人生のありようは、少しも変わっていないのである。死に直面することを先延ばしし、考えることを避けてきた結果、我々は、人生にとって実は命よりも大事なことを、取り逃がしてはいないだろうか。
 あるいは欲望の問題もそうである。受精卵に手を加え、好みの子供を作り出すなど、そんな子供を大事に感じるものだろうか。このような欲望の満足は、はたして人生の幸福だろうか。
 科学技術と人間の幸福について、私は考える。全能の科学技術をもってすれば、人類の未来はバラ色のように思えるが、実は案外そうでもない。科学の進歩に見合っただけの精神の進歩を、我々は経ていないからである。死を恐れ、欲望に流れ、人生の意味を知ろうともしない我々の精神は、全く進歩していないからである。このギャップは、これからますます大きくなる。さてさて----.。

池田晶子 : 著 : 『科学と「バラ色の未来」』 : 地球くらぶ : 2004年10月3日朝日新聞統合版

この文章を読んで、真っ先に頭に浮かんだのは手塚治虫先生のことだった。手塚先生はご多忙の中でたくさんの作品を生み出した。その中には「火の鳥」のような哲学的な命題を含む作品もあった。手塚先生は同時に医者でもあった。腹部の腫瘍に気づいていらっしゃっていただろう。でも手塚先生は、自分の運命を自然(あるいは創造主)に任せるかのように、本当に最後まで医療機関を受診されなかった。まるで「火の鳥」の中のひとつの主題に従うかのように・・・・・。

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