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安田善次郎の祈りU
万遍なき天の采配
日々を愉快に暮らすことは、我々がこの世を渡るについて最も大切な心掛けであるといわねばならぬ。実際我々はこの世を愉快に暮らすべき筈のものと定(き)まっているのではないか、何故というに天は我々が万遍なく愉快を得るように万事を仕向けているのである、それにも拘らず愉快に暮らし得ないものは、畢竟(ひっきょう)この道理を覚らずして、殊更自ら不愉快を求めるものといわなければならぬ。
求めずして来る幸福
然らばこの世を愉快に送る道は如何あ(いかん)というに、私が今日まで実験する所を以っていえば、各人自己の経験と、技能と、希望とが一致したる業務に従事すれば、しぜんと日々が愉快に暮らせる。これに反して不熟練であり、技能も足らず、希望も伴わない業務に従事したものは、どうしても愉快に暮らすことが出来ない。その業務に熟練して自由自在に活動することが出来れば自然に働くのが愉快になる。恰度(ちょうど)水を泳ぐようなもので、自由に泳ぐ術に長じていれば水泳は非常に愉快なものであるが、その術を知らないものには少しも面白いことはない。経験もなく、技能もなく、趣味も起こらない所の業務に従事するものであれば、日々を不愉快で暮
らすのも無理はない、人間の一大不幸といわなければならぬ。けれどもこれらの要件が揃って、しかもなお愉快に暮らすことが出来ないのであれば、その人は畢竟(ひっきょう)不善良な人間であるに違いない、自ら真の愉快を毀(こわ)して堕落することを喜ぶひとであるに違いない。しかし愉快といっても、奢りを極め欲をほしいままにする奢侈逸楽(しゃしいつらく〜度を越した生活や快楽をむさぼり暮らすこと)の生活を以って人間の愉快と誤解してはならぬ。私からいえばそれらの生活は畢竟(ひっきょう)動物の生活で、何の値打もなく、貴(とうと)ぶに足らず、喜ぶに足らざる生活に外ならぬ。私のここにいう所の愉快は、自己の十分の知能と、十分の技量とを、労力を以って練磨して、以って意の如く十分に働けば、一身の発展一家の繁栄は求めずとも自然に来る。これ人生最上の愉快であると思う。
安田善次郎:著:「意志の力」 : 安田生命保険相互会社発行
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