安田善次郎の祈りV

愉快の要件質素生活

 

日々を愉快に暮す一要因として質素生活を一言しなければならぬ。人間の奮闘時代には、質素生活は有形無形に非常な大利益あるものであって、身装(みなり)が質素であればそれだけ多く働くことが出来る、根気強くなり、忍耐力を増し、勇気も加わって困難にも堪え得るようになる。仕事が多く出来るだけ成功は堅実になる訳であって、希望は益々加わり、愉快の度も加わるは当然の結果である。人もし一度贅沢の習慣が付けば、忽(たちま)ち元気衰え、身体は惰弱になり、勤労には堪え得ず、不平等は加わり、不愉快だらけで日々を送る結果となる。

 

草叢(くさむら)中の一団の活火

 

如何に愉快に暮そうと思っても、人間一生の中(うち)には必ず種々な困難が湧いて来る。この困難を如何に切り抜けるかによって、多くの愉快を得るか得ないかが岐(わか)れるのである。人間の知力能力は、鍛えれば何処までも発展するのであって、これを如何にして鍛えるかの道は困難に打(ぶ)っ突(つ)かる外はないのである。人間の知力能力はいわば玉のようなもので、磨けば磨くほど光が出る。またあるいは草叢の中の一団の火のようなもので、逆風が来(きた)っってこれを吹けば次第に焔を起して、終には炎炎たる大火ともなる。故に困難を厭(いと)い畏(おそ)れるような薄志弱行のものは終には困難の為めに倒されてしまうのであるが、困難に反抗して闘う気力のものであれば、恰度(ちょうど)真珠貝が己を苦しめる砂粒を取って包み遂にとうとき真珠となるように、あるいはまた生気の熾(さか)んな木は暴風の為めに枝を折られ幹を揺(ゆす)られれば、益々その根を広げて新しい枝を一層繁らせるように、人間も困難の為めに苦しめられるほど益々堅実に完全に進歩発達して行くのである。故に困難に出逢った当時は苦しいに違いはないが、ここを切り抜けさえすればその後の愉快は実に大なるものである。困難に出遭った苦痛の大なれば大なるほど、それを切り抜けた後の愉快は大なるものであるから、一時の苦痛の為めに困難を厭うことは決してないのである。要するに人生に於ける困難は、我々の愉快な生活を妨げる為めに起って来るものではなく、実は我々の愉快を鼓舞し増長させる為めに来るものであると見るのが当然である。

 

安田善次郎:著:「意志の力」:安田生命保険相互会社

 

安田善次郎氏の生き方は、出身地富山のTV局のチューリップテレビから、同郷の浅野セメントの創業者浅野総一郎氏の生き方とともに、DVDとして出版されている。人間の生き方、あり方として、教えられるところが多大である。 

 

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