高 史明の祈り U

親と子

 親は子の前を行く・これが言わば、順当な人間界の時のかたちである。それ故に、子は親の後ろ姿を見て育つ、という言い方も成立したのだと思う。だが、これだけが人間界の時のかたちであるのか。私たちのひとり子は、親の前にでて死んだ。その年齢わずか十二歳にして、自ら死に身を投じたのだった。人間界には、子の方が親の前を行くかたちもあったのである。子に先立たれて、初めて「時」の真実を知ると何ということであろう。
 その当時は、何が起きたのか分からなかった。死んだということは分かった。「死」が恐ろしく重く圧し掛かってきたからである。しかも、その死は、私がそれまで、疑うこともなく歩んでいた時を奈落に変えていた。私は奈落に墜落した。地獄が私の生きる場となったのである。手が硬直し、目も暗くなった。本の活字も見えなくなった。その奈落を行く私を歩ませつづけたのは、何であったのか。
 気がつくと、私は硬直した手で、親鸞の言葉を一字ずつ書いていた。死ななかったのである。いや、奈落を生きる私を、前方を行く子が捉えて離さなかったのだ。そしていま、深く思い知る。子が親の子であるなら、親もまた、子によって本当の親になれるのが真の親子のかたちなのであった。子に学べなかった私は、親になれなかったのだ。
 いまは私にも、亡き子の声が聞こえる。人間の生とは、死からの声に支えられて本物になるのであった。生が死に向かうのであれば、死もまた生に還るのだ。厳しい二十五年の歳月であった。有り難い縁であった。

朝日新聞社 : 2001年1月31日 朝刊 : 「時のかたち」

子どもの死はとてもつらい。柳田邦夫氏も御次男の死のつらさを表明している。私も子どもに死なれた経験がある。自分が麻酔科の医者であることから、子どもの異変に自分自身で3回も救急蘇生をした。それでも、その場は一命は取り留めたが、脳死状態から多臓器不全になり、ついには天国へと旅立っていった。いろんな人から、時間が来れば大丈夫といわれたが、私の受けたショックはそんなに甘いものではなかった。私はあまりのショックの大きさで、電車に乗ることが出来なかった。
電車がホームに近付いてくると、線路に吸い込まれそうになるのだ。新幹線の中でも、立っていられなかった。他人と会うことが、恐怖になった。診療は行えたが、その他はだめだった。そのような辛い時に、ある一人のキリスト教の牧師に出会えた。その牧師からカウンセリングを受けているうち、聖書をよむようになった。いつか、自然に聖書に導かれていた。

戻る