ミス・デントンの祈り
ミス・デントンという方のお話をさせていただきます。
私は、この方は本当に大切なものを神様に捧げた方だと思います。和歌山のほうにいらっしゃる升崎外彦先生という立派な牧師先生を、私は三浦と一緒にお訪ねしたことがありました。この先生はいろいろなエピソードを持っていらっしゃる方ですが、小さな博物館でいちばん素晴らしいものを見せてあげましょうとおっしゃてくださいました。
そのときに見たのが「ミス・デントン」というアメリカ人の宣教師の靴下でした。その靴下は継いで接いで厚くなって、生地が見えないぐらいに糸で刺してありました。これを、なぜ升崎先生の博物館に飾ってあるかと申しますと、ミス・デントンが亡くなったという電話がきたときに、いちばん先に先生が駆けつけたわけです。そしたら、そこにいた人が、「先生、どうかお好きなものを形見にもっていらしてください」と。いちばん先にいらしたんですから、いちばんお気に召したものを持っていってくださいとおっしゃったわけです。先生はすかさず、ミス・デントンの靴下をくださいとおっしゃった。先生は、ミス・デントンのいつも継いで接いでいた靴下を知っていたからです。
ちらっと穴があいたら、その靴下は、大抵の人はもう履きません。伝線がスッと入ったら、もうそれは恥ずかしくて履いてはいけないというのが、私たちの情けない気持ちです。ですから、ミス・デントンのような靴下を履いて一町歩いておいでと言われたら、「死んでもそんな真似はできない」と言うだろうと思います。
しかし、ミス・デントンは、これを苦痛としてではなく喜んで履いていました。これは、靴下に代表される彼女の姿であって、ミス・デントンは、着ていらっしゃるものも継いでいたそうです。お家の中も粗末であったでしょう。ご自分のためには、おそらく、食べるものもそのような状態だったと思います。切り詰めるだけ切り詰めて、日本の女子学生のために学資を出していた。桜美林の清水先生の奥さんは、このミス・デントンの愛によって学校を出ることができたといいます。私たちが博物館に行ったら、立派な壺だとか、誰それの手紙だとか、絵だとか、本当に値打ちのありそうなものがありますけれども、このようなものを見たことはありません。
このミス・デントンは、アメリカから渡ってくるときに、本当は愛する人がいました。ファウラーさんという立派な青年と愛し合って婚約していました。けれども、日本にキリストを伝えるという使命を与えられて、本当に辛い思いをして、神様に自分を捧げたわけです。そして、ファウラーさんと話し合って婚約を解消して、そして太平洋を渡って日本で宣教師として働かれた。
その人の思い切ったそれだけの愛を、神様に捧げたデントンさんは一生懸命、まさに命を懸けて伝導なさった。もう、食べるものも食べない、着るものも着ないで、そのような靴下を残されて伝導された。アメリカを出て何十年か経ったとき、アメリカから一老紳士がやってきました。そしてご自分が働いて一生かかって貯めたお金をデントン先生に差し上げた。「どうぞ、神様のために使ってください」、そう言ってお金を渡したその人が、若い日に別れたファウラーさんでした。別れてから五十年後でした。ファウラーさんも独身で一生を過ごしたわけです。アメリカと日本に別れて、お互い愛は冷えないままに、しかし、神様に捧げた。いちばん大事なものを捧げました。それでつくられたのが、同志社のレンガ造りの女子学生の校舎だそうです。そして、その栄光館の右と左にファウラーさんと、デントン先生の写真が飾られているそうです。
光文社 : 三浦綾子 著 : 「なくてはならぬもの」より
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