私の祈り12

バッハロ短調ミサ曲を聴いて

 私の2007年の年明けはバッハの「ロ短調ミサ曲」で始まった。20世紀を代表するバッハ指揮者で解釈者であるカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団及び合唱団、独唱者にはソプラノのグンドラ・ヤノヴィッツ、アルトのヘルタ・テッパー、テノールのラウベンタール、バスのヘルマン・プライという蒼々たるメンバーによりバイエルン州のディーゼン市のクロスター教会で収録された映像を伴ったものである。
 キリスト教徒で宗教改革を行ったマルティン・ルターのルター派に所属していたバッハが、カトリックのミサ曲をなぜ書いたか、今でも議論の多いところである。
 この「ロ短調ミサ曲」では、バッハはイエス・キリストを信ずる者は、プロテスタントもカトリックも宗派に関係なく争いや反目を行うのではなく、に共に神を称えることを目的にしたのではないだろうか?また、バッハの祈りに満ちた美しいそしてまた同時に人を敬虔な気持ちに導くこの曲を通して、バッハは人々に宗教を対立の道具として用いるのではなく、平和を願う人々の持つ共通の願い、そして普遍的な宗教なら必ずその基本概念に持っている「殺すな」「盗むな」「嘘をつくな」「騙すな」「姦淫するな」を今一度人々に訴えかけ、我々をこの世に送り出したものへの大いなる「へりくだり」と「平和への祈り」を後世の我々に訴えているのではないだろうか?
 ソ連の崩壊により、自由主義的な概念を政治に持ち込む国が増えているが、資本主義を基本に持つ国の物質主義、金を何よりも大切にする弊害は今日の荒廃した精神が露になり問題になっている我々のこの国にも端的に見られている。
 世界の争いの元になると見られている民族主義と宗教であるが、普遍的な宗教では人々の対立や争いを禁じている。
 人々に争いや対立をもたらすものは、イデオロギーであり、金儲けのためには人道も無視してしまう今日のグローバリゼーションである。
 肉親を戦争や争いで奪われ、親子や兄弟でさえ憎しみあい、極端に陥れば殺人まで犯してしまう。
 そのような、間違った今日の風潮をバッハは改めるように、音楽で我々に訴え続けているように思われてならない。
 今日の我々が漠然と抱く不安感は少しでも取り除かれなければいけない。それには、日常の生活上の安心感がもたらされなければいけないだろう。今、医療や社会保障制度が経済的な理由により、どんどん減らされている。今まで日本が世界に誇っていた保険証一枚で誰でもどこでも同じ医療を受けられる権利は崩れつつある。驚くことに、富裕層と思われる人々は宣伝を頼りに怪しげな治療を高いお金を払ってどこにでも出かけていって受けていることだ。逆に暮しに困っている人は、明日のパン(食べ物)」を得るためか、必要と思われる医療を受けることをやめて、怪しげなサプリメントと呼ばれるものを薬と同じかそれ以上の効果のあるものと勘違いして買い求めている。
 このような誤った状況は、少しでも急いで改めなければいけないと思われる。
 また、急激な制度改革により、医師不足が起こり、必要な医療が受けられない地域がどんどん出てきていることも問題である。
 日本の国民は、必要最低限と思われる医療や社会保障制度がぐらつく中で、自分たちの今後に対して大変な混乱と不安を抱きだし始めていると考えられる。
 日本の舵取りを行っている人々は、このような国民の不安や困窮を急いで改め、少しでも国民が安心して暮らしていける方法をまず考え出さなければいけないと思われる。
 人々が自分だけのことを考えるのではなく、より立場の弱い人々のことを考えられる暮しや医療の保障は最先決の問題として考えなければいけないのではないだろうか?
 そのことを、バッハは300年前の世界から今日の我々に対して、「悔い改め」「考え直す」ように「祈りを込めて」訴えてきていると思われてならなかった。

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