私の祈り13

 今日の日本は、世界でも有数の富める国の一つになったはずだ。
 しかし、我々の日々の生活は、満足感に乏しく、漠然とした不安に満ちた世の中である。

 我々が、この漠然とした不安感の満ちた世の中で生きていくことはかなりつらいことのように思われる。

 どうしたら、不安感を少しでも少なくできるのだろうか?

 それには、逆説的ではあるが、現在の医療や社会保障費を減らす方向よりも、医療や社会福祉にお金を掛けて、何かあったときの不安感を少しでも減らすべきなのではないか?
 また、国の将来のために、教育にもっと投資をすべきではないだろうか?
 明治以降の日本の世界への躍進は、その教育力に負うところが多かったのではないか?
 当時の師範学校は、基本的に国がすべてを賄っており、優秀な人材が集まって教育に力をいれることが出来たのではなかったろうか?
 農業も大切である。日本は、食糧の自給率が少ないが、なにか起こった場合、外国がすぐに援助の手を差し伸べてくれると考えるのは甘いように思える。
 自然災害が多く、周辺諸国との付き合いも難しいこの国においては、もっと食料を自前で準備できるようにしておかなければいけないように思う。
 それには、お金が必要だが、社会の不安が増すと、人々は自分のお金を出そうとはせず、かえって蓄えようとする。
 旅人の服を脱がせようとするのに北風は一生懸命風を送ったがかえって旅人は服をしっかり着るように努め、太陽はその暖かさで旅人の服を脱がせることに成功した有名な童話がある。
 この童話に見られるように、我々は安心感が高まると蓄えを出す方向に働くのではないだろうか?

 日本は、高度成長を遂げても、まだ成長を続けようとするのだろうか?
 温暖化の議論が盛んになってきているが、これから中国やインドなどでも高度成長を目指して環境破壊が進むことが考えられる。
 日本人は、江戸時代やつい最近まで助け合いの生活をしていたのではなかっただろうか?
 米や味噌が足りなくなると、足りない家は足りている家から借りて生活していたのではないだろうか?

 今後は、日本に住む者同士、助け合って生きていかなければいけないのではないだろうか?

 誰だって、何に使われるか分らないものを差し出す気持ちは持っていないものと思われる。
 しかし、それが困っている人のために役立てられるようだったら、喜んで出そうという気持ちは持っているはずだ。
 そして、その循環によって、いつか自分が困ったときにも誰かが援助の手を差し伸べてくれる連鎖の輪が出来れば、生活に安心感を取り戻せるのではないだろうか?

 グローバリゼーションの世の中で、我々は非常に不安感の強い毎日を送っている。

 このような、弱肉強食の時代こそ、逆にお互い助け合える安心した生活を送れるように方向性を、そして考え方を変えることは大切なのではないだろうか?

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