マリアの祈り

  わたしの魂は主をあがめ、

わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

身分の低い、この主のはしためにも

    目を留めてくださったからです。

今から後、いつの世の人も

   わたしを幸いな者と言うでしょう、

力ある方が、

   わたしに偉大なことをなさいましたから。

その御名は尊く、

その憐れみは代々(よよ)に限りなく、

主を畏(おそ)れる者に及びます。

主はその腕で力を振るい、

思い上がる者を打ち散らし、

権力ある者をその座から引き降ろし、

身分の低い者を高く上げ、

飢えた人を良い物で満たし、

富める者を空腹のまま追い返されます。

その僕(しもべ)イスラエルを受け入れて、

憐れみをお忘れになりません、

わたしたちの先祖におっしゃられたとおり、

アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

ルカによる福音書1章47節〜55節 : 聖書  (新共同訳) : 日本聖書協会

 このマリアの祈りはマリアがイエスを身ごもったときに、天使ガブリエルによりそのことを告げられた後に、親類で高齢でありながらイエスの進む道を整える洗礼者ヨハネを胎内に宿しているエリサベトを訪れたときに発したものだ。このとき、マリアは男を知らなかった。それでも、天からのお告げを素直に聞いて自分の運命を受け入れることを証したことばである。
 われわれの日常に鑑みると、良くないニュースや出来事にあふれている。その中で、われわれは、耳を傾けて、天からの声を聞かなければいけないことを示しているように思う。天からの声を聞くためには、常日頃から身を清めて相手のことを思いやり、悪に手を貸さない努力と祈りが必要である。誘惑が多く、ともすれば自分のことだけを考えがちになるが、そのような自分に気付いたら、悔い改めて、正さなければいけない。誘惑に駆られ、相手を恨むことは簡単である。しかし2000年前にこの世にイエスが天から使わされた意味を、このクリスマスの時期に我々は考えなければいけない。
 天は時々人類に救いの手を差し伸べてくださる。仏陀が生まれたときも、モハメッドが生まれたときもそうだった。一向に改善しない悪に満ちた我々のことや我々の世界を、天は決して見捨てないことを私達は忘れてはいけない。そのことに感謝して、今一度天からの救いに思いをめぐらせて見ようではないか!

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