癒しの音楽W:〜秋、古典そしてバッハの世界の祈り〜
今回は4回目になりますので、以前から取り上げたいと思っていたバッハの音楽とその癒しと祈りの世界について、音楽を聞きながら、皆で味わい考えていきたいと存じます。
まず、今日の音楽教育で試みとして、とても面白い点に気づいたと考えられる縦笛(ヤマハ製のプラスチックのものです)に関連して、そのモデルになったブロック・フレーテを用いた名曲から、バッハのカンタータを通ることによって声楽を加えていき、バッハの最高傑作である「マタイ受難曲」の世界、そしてこの講座の行われる今の時期ドイツ語圏の国々で取り上げられることの多いバッハの「クリスマス・オラトリオ」に進んで行きたいと存じます。
1.テレマン : 「ハンブルクの潮の満干」より「メヌエット」
テレマンはバッハとほぼ同時代の作曲家ですが、ブロック・フレーテの多くの名曲を作曲したことで有名です。しかし、バッハの音楽が長い間忘れ去られ、つい100年ちょっと前にメンデルスゾーンとその仲間たちによって再発見されたことより、さらにずっと遅れて1950年代の後半から始まったバロック音楽の再発見までほとんど忘れられていました。最近は、テレマンの優れた音楽が優れた演奏で記録されることが多いですので、今後より知られる機会の多い作曲家および音楽となることと考えられます。
ここでは、現代のバロック音楽の演奏を代表する1つの団体であるドイツのラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティカ・ケルンの演奏でお聞きいただきます。
2.テレマン : 「ターフェル・ムジーク」(食卓の音楽)より「四重奏曲ニ短調第4楽章」
この曲も有名な音楽です。現代のブロック・フレーテ奏者の先生と言うべき名奏者にハンス・マルティン・リンデという人がいます。バロック音楽の復興期である1950年代後半から活躍したヴェンツィンガーという指揮者とやはりバロック音楽の先生的な名人を集めたバーゼル・スコラ・カントールム合奏団の演奏でお聞きください。
3.バッハ : 「ブランデンブルグ協奏曲第4番第1楽章」
この曲のこの演奏でもブロック・フレーテの名手ハンス・マルティン・リンデが独奏を受け持っています。指揮者のカール・リヒターは旧東ドイツ出身で、バッハの正当の後輩と言うべきライプツィヒの聖トマス教会のオルガニストを若くして勤めていました。しかし、自由な演奏活動を希望して西ドイツに亡命してミュンヘンを中心して活動しました。現在は、バッハの20世紀を代表する指揮者として有名ですが、演奏家としてはこれからという54歳で心臓停止で客死してしまいました。あまり知られていませんが、ブルックナーやシューベルトの交響曲や大曲を指揮しても素晴らしい演奏を行っていて、これからの活躍を大変期待されていました。そのリヒターを慕って世界中から優秀な演奏家が集まったのがミュンヘン・バッハ合奏団です。
4.バッハ : 「世俗カンタータ第208番」「わが楽しみは愉快な狩りだけ(狩のカンタータ)」より第9楽章「羊は安らかに草を食む」
いよいよ、バッハのカンタータに行きます。手始めとして、独唱とブロック・フレーテの共演が巧みで美しい有名なこの曲から聞いていただきます。有名な曲ですので、お聞きになられた方もいらっしゃると思います。演奏は、テノール歌手として有名なペーター・シュライヤーが指揮をして、東ドイツのベルリン室内管弦楽団が演奏したものです。1989年にベルリンの壁が崩れて東西両ドイツが統一したわけですが、こと音楽に関しては東ドイツの演奏は、ドイツの伝統を守った演奏が行われ、世界中から優秀な演奏者を集めて音量や技術は進んでもドイツ伝統の味が薄れた西ドイツの団体の演奏とは一線を隔しておりました。ドイツ・グラモフォンという西ドイツを代表するレコード会社がバッハのカンタータを録音する時も、教会カンタータはカール・リヒターに任せ、世俗カンタータの一部はこのペーター・シュライヤーの指揮する東ドイツの演奏者に任せたほどなのです。ソプラノはアメリカ出身で東ドイツで高く評価されていたアーリン・オジェーが受け持っています。
5.バッハ : カンタータ第147番「心と口と行いと生きざまは」より「主よ人の望みの喜びよ」
今度は、合唱とオーケストラのみので有名なバッハの名曲です。演奏はカール・リヒター指揮のミュンヘン・バッハ合唱団およびミュンヘン・バッハ管弦楽団です。カール・リヒターはバッハの作品を演奏するのに合唱はプロではなく、アマチュアの声を求めました。ミュンヘン・バッハ合唱団はそのために組織されたアマチュアの団体です。カール・リヒターの元には、世界中からリヒターの造る音楽のために演奏家が集まりました。ミュンヘン・バッハ合奏団はリヒターの死により解散しました。しかし、アマチュアでミュンヘンの市民で作られたミュンヘン・バッハ合唱団は現在でもその活動を続けています。
6.バッハ : 「マタイ受難曲」より
この受難曲は、キリスト教の新約聖書のうち、4つある福音書のうちの1つの「マタイによる福音書」によって描かれています。「マタイによる福音書」をほぼ完璧に忠実に音楽で表現したバッハの最高の作品として位置付けられています。福音書には数にまつわる象徴など様々な意味がありますが、バッハはそれらの問題を完璧に楽譜に盛り込んでいます。全曲を聞くと、休憩を除いて3時間以上の時間を要します。演奏によっては聴衆にかなりの我慢が必要になります。
今回取り上げる演奏は、カール・リヒターによる1959年に記録されたものです。この演奏記録はおそらく20世紀におけるバッハの「マタイ受難曲」の代表となる演奏だと思います。リヒターによるバッハの「マタイ受難曲」の記録には4種類あります。最初のものが、1959年のもので今回皆さんにお聞きいただくもの、2回目のものは1969年の日本公演の記録、3回目が1971年のものでこの演奏だけが映像を伴っておりますので、皆さんの中にもご覧になった方もいらっしゃると存じます。主に合唱団と指揮者のリヒターそれに象徴的に天井に配置された十字架のみを撮った映像です。4回目が1971年のものですが、リヒターも余裕が出てきたのか演奏に最初のものに比べるとピリッとしたものがありません。その他、20種類以上の演奏の記録がありますが、今回お聞きいただくリヒターの1959年のものが、断然他を圧倒しています。
@第1曲「来たれ娘たちよ、われと共に嘆け」
今年「パッション」という映画が上映されました。皆さんの中にもご覧になった方がいらっしゃるものと存じます。イエス・キリストが捕らえられ、裁判にかけられ、十字架に付けられ死んだ後、その墓が開けられるまでのことを福音書にそって描かれた映画でした。この曲は、イエスが十字架につけられて市中引き回しをされるときの音楽です。重い十字架を背負わされ、歩みも苦しく歩むイエスとそのイエスを取り巻く群衆の足取りが重々しく描かれた曲です。
A第15曲コラール「われを知りたまえ、われ守りてよ」
バッハは宗教改革を行ったマルティン・ルターの宗派、ルター派の作曲家でした。カトリックに対して、一人一人が聖書の原点にたち帰ることを目指したプロテスタントには、音楽でもそれまでのカトリックの音楽ではなく、自分たちで讃美歌など礼拝(カトリックではミサ)で用いる音楽を自分たちで作りました。コラールも、プロテスタントの礼拝で用いられたもので、バッハは「マタイによる福音書」を音楽にしたわけですので、長すぎると聴衆が理解不可能に陥る危険があったので、ところどころに礼拝で用いられるコラールを挿入することで、音楽の理解を助けるようにしました。この曲は、有名なコラール作曲家パウル・ゲルハルトの作品をバッハが編曲したものです。
B第39曲アリア「憐れみたまえ わが神よ」
ところで、皆さんは人を裏切ったことがあるでしょうか?(会場から苦笑が起こる) この曲は、イエスが捕らえられる前、最後の晩餐の席上で、「イエスが捕らえられるとき弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げてしまうこと」を預言するのですが、ペテロ(この人は初代のローマ法王です)は自分は「イエスを裏切らない」と言うのです。そこでイエスはペテロに対して「あなたは鶏が鳴く前に3度わたしのことを知らないと言うであろう」と預言するのです。実際イエスの言ったことが現実になり、ペテロは鶏が2回鳴く前にイエスを知らないと3度告白してしてしまい、その後にイエスからそのように預言されたことに気づいて号泣するのです。その場面を描いた曲です。人間誰でも自分が他人を裏切ったなどとは人前で言わないでしょう。でも、ペテロは自分の過ちを皆の前で告白しているのです。そのことが公式に記録として残っているのです。人類の罪咎(つみとが)のために十字架にかかって人類を救済しようとしたイエスを裏切ってしまうのです。このことをペテロが皆の前でおそらく何度も告白したのでしょう。なぜペテロがイエスを裏切ったことを皆の前で何回も告白しそれが記録として残されたのでしょう?それは、この後にイエスの復活が始まり、イエスを裏切って逃げてしまった弟子たちが再び集まってイエスが教えたりことを人々に伝え、イエスの行った行為を人びとに対して実際行い始めることの出発点になったからなのです。
毎回聞き比べをしているわけですが、今回はこの劇的な曲を聞き比べてみましょう。
まず、カール・リヒターの指揮ミュンヘン・バッハ合奏団の演奏でお聞きください。
次は、メンゲルベルグ指揮アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の演奏です。ライブ録音です。時は、1939年4月2日、ナチス・ドイツがまさに隣国オランダに侵攻しようという直前にオランダの首都アムステルダムで実際に行われた演奏会での記録です。女性の聴衆のすすり泣きの声も録音されています。まさに、緊張感溢れる雰囲気の中で行われた演奏会です。この後にナチス・ドイツがオランダに侵攻してユダヤ人や戦争非協力者をどんどん捕まえて捕虜収容所に送り込む。その中で、心ある人はアンネ・フランクに行ったように隠し部屋にユダヤ人をかくまったりする。人間はなんでこのような罪を犯すのか?そのようなひどいことが行われたのです。それは過去のことではありません。現実においても、なのです。
C第54曲コラール「おお血と傷にまみれし御首」
先ほどお聞きいただいたパウル・ゲルハルトの有名なコラールの再現です。マタイ受難曲ではこのコラールは合計4回演奏されますが、これは3回目の同じコラールです。調整はもっとも高いヘ長調です。
D第60曲アリア「見よ、イエスはわれわれを抱かんとて、御手を広げたもう」
この曲は、当時のローマ帝国で行われた死刑の中で、最も残酷だと言われている十字架の磔(はりつけ)に苦しんでいるイエスの姿が、苦しんでいるのではなくまさに我々を天国に導くかのようにわれわれを抱こうと両手を広げて見えるという曲です。
E第60曲最終曲「われら涙流しつつひざまずき」
いよいよマタイ受難曲の最後に参りました。ここまで聞くのに実際は3時間以上の時間がかかるのです。しかし、リヒターのこの1959年の録音の記録は、曲の始まりからこの最終曲まで一気に聞くものを導きます。それほど、素晴らしい演奏なのです。バッハの最高傑作である「マタイ受難曲」を一度全曲お聞きになる機会がもたらされますよう望みます。
7.バッハ : 「クリスマス・オラトリオ」
バッハの最高傑作の「マタイ受難曲」を抜粋でお聞きいただきました。少し、重かったでしょうか?
今度は今の時期にドイツ語圏の国々でよく演奏されっているバッハの「クリスマス・オラトリオ」です。
@第1部第1曲合唱「歓呼せよ、歓喜せよ、いざ、この日を賛えよ」
明るいトランペットの響きで、クリスマスのキリストの降誕を祝う非常に明るい曲です。本来今の時期から年明けまでこのような明るい雰囲気に包まれるのです。クリスマスはキリスト教国ではないこの日本でも、明るく皆ケーキを食べたり会食をしたり御酒を飲んだり、子供たちにはクリスマスのプレゼントが贈られたりします。クリスチャンは教会で厳かにロウソクをともしてお祈りをして礼拝(ミサ)を行います。クリスマスパーティーで御酒を飲んで酔っ払った人が教会の前を通りかかって「なんだ、教会でもクリスマスやってんのか・・・」と言ったという笑い話もあります。
クリスマスは本来イエスの誕生を祝ったものですが、イエスの誕生日は実のところはっきり分かっていないのです。イエスが生まれたベツレヘムもローマの領土でしたし、初期のキリスト教がローマ帝国内で広まったので、ローマ帝国の太陽神のお祭りや北欧の多神教のお祭りが重なったためとも言われています。なにしろイエスの誕生が王侯貴族の宮殿ではなく、馬小屋の飼葉桶であったのも、イエスは人間の一番汚いところに来られ、苦しむ人々や罪深い人々の救済に当ったため(すなわちイエスはこの世に、繰り返し罪を犯す人間を救うため、また一人一人の人間が価値があり神に愛されていることを示すために来られた)と言われています。そのイエスの誕生を祝うクリスマスの喜びを表現した大変な名曲です。演奏はいろいろ調べましたが、このマルティン・フレーミヒ指揮ドレスデン・フィルハーモニー、ドレスデン十字架合唱団、ルートヴィッヒ・キュトラーのトランペット独奏のものが、バッハのこの曲を素直にしかもとても綺麗に華やかに表現していると思われましたのでどうぞお聞き下さい。
A第10曲「シンフォニア」
実はバッハの「クリスマス・オラトリオ」は6部に分かれており、この曲は第2部の最初の曲です。とても有名な曲です。ここに、クリスマスによく演奏されるクラッシクの名曲を集めたCDがありますのでその中の1曲としてとりあげられていますので、聞いてみましょう。演奏は、アーサー・フィドラー指揮のボストン・ポップス管弦楽団です。
今回は、バッハ(ヨハン・セバスチャン・バッハ)の曲を中心にして心が癒される音楽を聞いていただきました。バッハの曲は心が癒される曲が多いのですが、バッハが亡くなった時、傍らにボロボロに読み込まれた聖書が置いてあったと言われています。バッハの曲で心が癒されることが多いのは、バッハが神に祈りながらこころを込めて作曲したためとも言われております。今回音楽を聞きながら、バッハの祈りについても少しですが触れさせていただきました。機会がありましたら、バッハの音楽をお聞きになっていただければ幸いです。
これで、4回目のこの会を終わりにさせていただきます。